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風呂敷

落語「風呂敷」のあらすじ

長屋の兄さんのところに近所の女房が相談にきます。聞いてみると、旦那が「寄り合いで横浜に行って遅くなるから今日は寝てろ」と言って出掛けた日に、旦那の友達が来たので家にあがらせてお茶を飲んでいた。すると、遅くなると言っていた旦那が雨に降られてと行って早くに帰ってきたという。

早く帰ってきて何が悪いのかと問うと、旦那が焼餅やきなのでつい押し入れに隠してしまったと。旦那は酔っているからすぐに寝るだろうと思いきや、押入れの前で胡坐をかいて動かない。さて、この後押し入れに入れてしまった友達をどうすればいいのかということで相談にきたのでした。

兄さんはぶつぶつ文句を言いながらも、行ってやるから家に戻って適当にごまかしていろという。そして、自分の女房に風呂敷を出させて、それを持って件の家に行く。

さて、場面は旦那の友達が閉じ込められた家。酔っ払った旦那が文句を言っている。事情を聞くと「古女房が早く帰ってきたことに文句を言ったあげく、早く寝ようとうるさく言う。新婚ならともかく、アブラムシの背中みたいな色をして寝ようとは、何故そう亭主を脅かすのか」とぼやく。

そこで「ところでお前はどうしたんだ」と聞かれた兄さん、「俺の友達に焼餅焼きで酒呑みの男がいるんだけど、その男が寄り合いで出かけている最中に近所の若い者がやってきた。そこに男が酔っ払って帰ってきたから、若い者を押入れに隠した。酔っているから寝かしてから出そうと思ったら、そいつがなかなか寝ない。しかたがないから男にこんな風に風呂敷をかぶせて、その間に逃がしたって訳よ」と答えて、「そりゃ、うまく逃がしやがったな」というサゲ。

落語「風呂敷」の感想

火焔太鼓/風呂敷」に収録された志ん生のもの(1953年4月14日ラジオ東京[現TBS]での放送)を聴きました。

これは元々、押し入れに入れられたのが旦那の友達ではなく間男だという噺のようです。それを志ん生が罪のないただの友達だという設定に変えたんですね。CDについていた解説によると
志ん生は艶笑噺をいかにもそれらしくやるのは好まなかったようだ
だそうです。自分自身もたくさん遊んだ人だからこそ、そういう噺をこれまでのまま継承してやるだけじゃ満足できなかったのでしょうか。

それにしても、これはやっぱりCDではなく映像で見たいですね。逃がしたときの状況を説明しているという振りをしながら実際に逃がす場面で、兄さんと旦那の友達とが交わした身振り手振りがあるはずで、ぜひ見てみたい!
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次の御用日

落語「次の御用日」のあらすじ

大阪の丁稚常吉と、店の主人の娘糸(とうやんと呼ばれている)が縫物屋さんへとお使いに行きます。途中でちょっと寂しい場所を通らないといけない。

その寂しい場所で天王寺屋藤吉という男に出会います。藤吉は店の主人堅木屋佐兵衛の借家に住んでいる男で、はっぴを日除けのために上に掲げて歩いていたもんだから、遠くから見るとめちゃくちゃ背の高い人に見える。怖ろしい思いをしながら何事もなく通り過ぎようとする二人。


一方、藤吉も常吉ととうやんに気付き、脅かしてやろうと擦れ違ったときにはっぴを二人の上に掲げて奇妙な声を発しちゃった。そしたら、糸があまりにもびっくりして、何と記憶喪失に。そこで佐兵衛が西の御番所に訴えて、お裁きとなります。

常吉が状況を説明するよう言われ、「『あえっ』という声を出した」というので、お奉行さんも「『あえっ』という言ったのか」と問う。藤吉も「『あえっ』という言ったのなら、『あえっ』と言ったと言うが、『あえっ』と言っていないからには『あえっ』とは言えなかったというしかない」と、裁きの場面は『あえっ』だらけ。しまいに奇声がうまく発せなくなって、裁きは次の御用日にというサゲ。

落語「次の御用日」の感想

枝雀落語大全(18)」に収められています。昭和57年5月27日関西テレビ「とっておき米朝噺し(第11回)」で放送されたものです。

枝雀がいつものように(?)奇声を発する落語ですが、これはもうちょっと堅い感じの落語家の方が演じたものの方が面白いかもなんて思いました。お奉行さんという堅物の人が一生懸命奇声を発するところが面白い噺ですが、枝雀の奇声はこの噺に関わらずよく聴くのであまり意外性がなくって(笑)。

一方、常吉のお調子モノっぷりはさすが枝雀ですね。こまっしゃくれた文句を主人に言うところなんかは、子供とは思えません(笑)。

三年目

落語「三年目」のあらすじ

病に臥せった女房が、夫の将来の再婚相手を思うと嫉妬して死に切れないというので、旦那は「生涯独身でいる、もし再婚することになったら婚礼の晩に化けてでてくればいい」と約束をする。その途端に女房は死んでしまう。

女房に死なれた旦那は、最初は後の生涯を独身で通そうとしたものの、周りの薦めを断りきれずついに結婚することに。婚礼の晩、待てども待てども古女房の亡霊は出てこない。そのうち1月経ち、1年経ち、、三年経ったところで、死んだ女房のお墓参りに行った日に、ついに古女房の亡霊が出てくる。

何故、既に子供も生まれている今になってやっと出て来るんだと旦那が女房の亡霊を問い詰めると、納棺のときに髪に剃刀を当てられた女房はそんな姿で旦那の前に出るのが嫌で、髪が伸びるまで待っていたんだというサゲ。

落語「三年目」の感想

古今亭志ん生名演集(19)」に収められています。昭和31年7月の録音。

昔は納棺のときに仏様の髪の毛を剃っていたみたいですね。これがわからないとオチもよくわかりません。

志ん生がやきもち焼きの女の人を演じると可愛いですね。落語で演じられる人ってどこか可愛げがあって欲しいというか、怒りっぽいキャラや憎まれキャラも100%そうではなくて、どこかに可愛げがあって欲しい。例えば、立川志の輔の演じる怒りっぽいキャラって、私には可愛げが足りなく感じられてあまり好きではないのですが、志ん生はどんな人も愛すべき人に感じられますね。

特に志ん生の演じる遊び人はどうしようもないのに憎めなくて、こんな人が本当に自分の身近にいたら困っちゃう、というか志ん生の奥さんは本当に困っていただろうなあなんて思います(笑)。

質屋蔵

落語「質屋蔵」のあらすじ

質屋の旦那が三番蔵で化け物が出るという噂を聞いて、番頭に一晩見張っていろと命ずる。しかし、番頭がただでさえ怖がりなところ、旦那が大方質草に対する持ち主の念が化け物となっているのだろうと想像を膨らませて語るものだから、番頭は一人では嫌だという。

そこで腕自慢の熊さんを助太刀に呼ぼうということになったが、呼びにやった丁稚があることないこと言うので、叱られると思い込んだ熊さんは先にこちらから謝ろうと、酒やたくあんを勝手に拝借したことをぺらぺら白状してしまう。

旦那が「いや今日はお前の腕自慢を見込んで、化け物が出ないか見張って欲しい」と頼むと、急に弱腰になった熊さんだが、そのまま逃げることもできず、番頭と熊さんで一晩三番蔵の見張りをすることに。

最初は怖がっていたものの、酔っ払うとどうにかなるとたかをくくっていた熊さんだが、真夜中に何かが見えたと大騒ぎ。こんなことだろうと、旦那が自ら三番蔵を覗いてみると、小柳繻子の帯と竜門の羽織が相撲を取っている。そうかと思うと、箱から菅原道真の掛け軸が勝手に出てきて、旦那に向かって「持ち主に利上げせよと伝えよ、どうやらまた流されそうだ」というサゲ。

落語「質屋蔵」の感想

私はこの落語を「桂 枝雀 落語大全 第十六集」で観ました。長い落語で、冒頭の旦那の質草にまつわる勝手な作り話や、熊さんが勝手に自分の過ちを話してしまう様は、それぞれ一つの落語として成立するんじゃないかというくらい。サゲは、菅原道真が流されたことと質流れをかけている訳ですが、小柳繻子の帯と竜門の羽織というのも何かとかけてあるのでしょうか。私は物知らずなもので、わからないのですが、、、ご存知の方は、コメントいただけると嬉しいです!

元犬

落語「元犬」のあらすじ

昔は野良犬がたくさんいましたが、その中に白犬は少なく、白犬は生まれ変わったら人間になるなんて言われていた。いつの頃か浅草の八幡様の境内に1匹の白犬が住み着いていて、参詣に来る人に「お前はいつか人間に生まれ変わる」と言われていた。

その白犬がどうせなら今すぐ人間になりたいと思い、八幡様にお参りを続けていると、ある日本当に人間になってしまう。人間になったなら奉公しようと、通りかかった上総屋の旦那に奉公の斡旋を頼むが、その時点で服は着ていないわ、立っていられず辺りを這うわ、雑巾を絞った水を飲もうとするわでてんやわんや。

それでも、おもとさんという女中のいるご隠居を奉公先とすることにして、さっそくそこに連れていきます。そこでも上げれといえば飛び上がってくるし、焙炉(ほいろ)を取ってくれと頼むと吠えてくる。

こりゃたまらんとご隠居さんが女中を呼び、「もと、もとはいぬか」と叫ぶと「はい、今朝人間になりました」というサゲ。

落語「元犬」の感想

古今亭志ん生名演集(19)」に収められています。録音日付については「病後の録音」としか書いてありませんね。

焙炉(ほいろ)→吠えろ というボケも、知らないと難しいですね。私もよくわかんないのですが、製茶用の炭火を使った炉のようです。

これは前、国立演芸場の三月上席に行ったとき、立川志の吉が演っていた噺だったと思います。演者も時代も違うのに、噺の流れはもちろん、八幡様っていう固有名詞も同じというのは考えてみれば面白いですね。口伝承である落語って、かえってアレンジなどしないようになるものなのでしょうか。

大山詣り

落語「大山詣り」のあらすじ

昔は江戸から富士山や大山にお詣りに行ったもので、信心からというよりも遊び半分、ときには取っ組み合いが起こったりもします。

とある長屋でも大山詣りに行くことになったのですが、熊さんは残って後の長屋を守る役になってくれなんて言われてしまう。文句を言って問う正すと、本当はしょっちゅう喧嘩をするから残らせようとの魂胆。今回は喧嘩をしたものは罰金を払ったあげく、坊主にしちゃおうということになっているらしい。熊さん、俺は大丈夫だと大山詣りに参加することに。

無事お詣りが済んで、明日には江戸に戻るという晩、気が緩んだのかやっぱり喧嘩しちゃった。それで熊さんは決まり通り坊主にされてしまう。翌朝熊さんが起きてみると既に皆は経った後。宿の人にくすくす笑われて本当に坊主にされたことに気付きます。

やられた熊さん、一計を案じ、一足先に江戸に戻ります。長屋のおかみさん連中を集めて、途中金沢八景見物に舟に乗ったときに舟が転覆して、皆亡くなってしまったと嘘をつく。供養のために坊主にしたというから皆信じちゃって、おかみさん達も供養に尼になります。

そこで男衆が帰ってきて、自分の女房が尼さんになっているのを見てびっくり。これは熊さんの仕業と気付き怒るが、先達さんはそれを見て「めでたい」と大笑い。自分の奥さんも尼にされて何がそんなにおかしいのかと問われると「お山が無事に済んで帰ってきたらば、皆さんお毛が(怪我)なかった」というサゲ。

落語「大山詣り」の感想

古今亭志ん生名演集(19)」に収められています。昭和35年8月の録音。

大山は神奈川県の大山ですね。江戸からここまで遊びで歩いていくなんて、とても私にはできません(笑)。それに、皆が歩き、自分は駕籠で戻ったとはいえ、皆が帰ってくるまでにおかみさん達皆を尼にした熊さんの手際よさったら(笑)。

火焔太鼓

落語「火焔太鼓」のあらすじ

道具屋の主人は商売下手。「この箪笥はいい箪笥だね」というお客に「いい箪笥です。もう6年もうちにあるんです」と売れていないことを暴露しちゃったり、そうかと思うと自分で使っている火鉢を売ってしまって、寒くて売った先にお邪魔して暖まってくる始末。

そんな主人がきたない太鼓を市で買ってくた。女房はただ古いだけのボロ太鼓だと言いたい放題。そうは言っても売るしかないので、小僧にはたかせる。小僧がはたかずに叩いていたら、通りかかったお上に聞こえて、家来が店にやってくる。失礼なことをして怒られるのかとびくびくして主人が応対していると、「大鼓を屋敷に持参せよ、殿様が買い上げるかもしれない」とのこと。

ほら売れると女房に報告すると、女房は「音だけ聴いて持ってこいと言っても、あんなきたない大鼓と分かったら、ただでは帰って来れないよ」と脅かされ、「一分で買ったと正直に言って、そのまま一分で売るように」と約束させられる。

屋敷に行ってお上に大鼓を見せると気に入って買うという。家来から「いくらで売るか。お上はたいそうお気に入りだから、値を手一杯言ってみろ。」と言われた道具屋は、両手をひろげ十万両と大きく出て、「いくらでも下げるから値切ってくれ」と頼りないことを言う。

結局三百両で買い上げられ、道具屋がなぜあんなきたない大鼓が三百両にもなるのかと聞くと、火焔太鼓という世の名宝だという。

慌てて店に戻ると、その慌てっぷりに女房は汚い太鼓を怒られて、侍に追いかけられていると思い、隠れろと言う。いや、そうじゃなくて三百両で売れた事を話し、五十両ずつ積み上げると女房も大興奮。

調子よく「これからは音の出る物に限るね」という女房に、主人が「俺は今度は半鐘を買って来るんだ」というと、女房曰く「いけないよ半鐘は、おじゃんになるから」というサゲ。

落語「火焔太鼓」の感想

火焔太鼓/風呂敷」に収録された志ん生のもの(1958年11月2日NHKでの放送)を聴きました。

CDについている解説によると、明治時代に初代三遊亭遊三がやっていたのを志ん生が聴いて覚えたそうです。といっても、遊三の噺は道具屋が最初から火焔太鼓と知っていたり、サゲも違ったりするのだとか。だから、ほとんど志ん生の創作と言っていいくらいなんだそうです。

思わぬに大金を目にしたときの主人と女房の「あわわ」って感じの様子がいいですね。志ん生が演じる、しっかりものの女房とダメ亭主(特に酒呑み)の組み合わせは、志ん生自身の夫婦を想像してしまうんですが、実際はどうなんだろう。

コメント欄でとみながさんに教えていただいた、お正月バージョンのサゲはフジテレビのサイトのこちらで聴くことができます(とみながさん、ありがとうございます!)が、、1か月くらい公開したら削除してしまうのだそうです。聴きたい方はお早めに!

あくびの稽古

落語「あくびの稽古」のあらすじ

男が歩いていると、友達がこれから稽古に行くから付き合えという。

三味線をひけば何本もの弦を鳴らさずには気が済まなかったり、浄瑠璃の稽古に行けば何事かと近所の人や警察が集まってきたりと、これまでこの友人の稽古に付き合って散々ひどい目にあった男、今度は何の稽古かと問うと、あくびの稽古と言う。何でも近所に「御あくび稽古所」ということろが出来たから、何か違うあくびなんだろうと行ってみるとのこと。

結局付き合って行くことになったが、一緒に稽古を受けるのは嫌なので傍で見ていることに。稽古が始まって先生が言うに、あくびにも四季や状況によってそれぞれあるという。「もらい湯のあくび」「将棋のあくび」など稽古をしては、下手なあくびをしているのを見ていて、傍らの男は退屈でしょうがない。ついついあくびが出たところ、先生が「お連れさんはご器用じゃ」というサゲ。

落語「あくびの稽古」の感想

私はこの落語を「桂 枝雀 落語大全 第十六集」で観ました。噺としては、あくびの稽古部分より、そこに入るまでの『これまでの稽古の失敗談』部分の方が長いんですね。まあ、あくびの稽古という馬鹿馬鹿しい設定なので、そこでひっぱるよりそれまでの部分でひっぱる落語の方が実際に面白い気がします。

また、この落語は江戸落語では「あくび指南」となるそうです。稽古の内容も、江戸落語では違ったあくびのお稽古となるのだとか。あくびの稽古にも関東風と関西風とあるんですね(笑)。

一人酒盛

落語「一人酒盛」のあらすじ

引越ししたばかりの男の家に友人が遊びに来る。男は酒でも用意するからゆっくりしてくれと言いつつ、自分は壁紙を貼っているのでちょっと火を起こしてくれ、水を汲んできてくれ、うどんの出前を頼んできてくれと、友人に酒の準備を全てさせてしまう。さて、壁紙貼りが終わり、飲み始めると酒はほとんど男が飲んでしまう上に、男は酒癖の悪く、友人に向かって言いたい放題。友人は終いには怒って帰ってしまう。そこに出前を頼まれたうどん屋が着き、「今すれ違った人は、注文しに来た人だと思うが、えらい怖い顔で出て行きましたよ」と言うと、男が「放っておけ、酒癖の悪い男だ」。

落語「一人酒盛」の感想

私はこの落語を桂枝雀の「桂 枝雀 落語大全 第二十九集」で観たのですが、六代目笑福亭松鶴の演出では『いい酒を入手した男が友達を呼んでその酒を飲もうと言いながらほとんど一人で飲んでしまう』となっているのだそうです。そちらもいつか観てみたいですね。

枝雀のこの噺は、引越しした男が壁紙を貼っている間も飲み始めてからも動きっぱなし。DVDなので枝雀がアップで映るんですが、汗びっしょりです。これを観ていると、落語って体力いるなぁと思います。

また、この落語ではほとんど引越しした男しか演じていないんですよね。落語って一人で登場人物を全て演じるのが普通じゃないですか。でも「一人酒盛」は、引越しした男の動きだけで、友人がそのときどうしているのかを推測させるような演出。落語でこういうものはたぶん珍しいですよね。

解説によると、後期の枝雀「一人酒盛」は酔ったあげくに高座台から落ちてしまうのだそうです。とにかく体力勝負の落語ですね(笑)。

阿弥陀池

落語「阿弥陀池」のあらすじ

男が「自分は新聞なんて読まなくても世間のことは何でも知っている」と言うので、それを聞いた友人がそれならこれを知っているかと、阿弥陀池の尼寺に泥棒が入った話を始める。泥棒がピストルを尼さんに突きつけると、尼さんが何と胸を突き出した。自分の主人が戦争で胸を打たれて死んだので、どうせ死ぬなら夫と同じところを打たれて死にたいという尼に、泥棒が「あなたは自分の命を助けてくれた上官の奥様でしたか。こちらこそ死んでお詫びをする」という。尼が「元からの悪人はいないはず。誰かにそそのかされて泥棒に入ったのでしょう」というと、泥棒は「はい、阿弥陀が行けと言いました」。

真剣に話を聞いていた男は、話が友人の言葉遊びだったことに気づいて悔しがる。その後もいくつも、面白い話をされてはそれが冗談だとわかり、悔しいから同じ話を他人にしてこちらが騙してやろうと話を聞いてくれる人を探す。

やっと見つけて、米屋に泥棒が入った話を始めて、米屋の若いものが刺された場面に差し掛かると聞いていた相手が大騒ぎ。その男は聞いていた相手の義理の弟だという。慌てて言葉遊びの嘘だと訳を話すと、誰の指図でこんな嘘を言いに来たんだと相手が怒るもんだから、男は「阿弥陀が行けと言いました」。

落語「阿弥陀池」の感想

この落語は桂枝雀の「桂 枝雀 落語大全 第二十九集」で観ました。

この落語の中で、尼を知らない男に「女の坊さんを尼と言うやろ」と言うと、男が「では男の坊さんは西宮か」と言うところがあるのですが、「尼」が「尼崎」の略称なので、尼崎の隣の西宮のことを引き合いに出しているんですね。こういうのは東京の私にはわかりづらいけど、関西の人が江戸落語を聞くときにもこのようなことがあるんだろうな。

人に聞いた話を真似て話そうとして失敗するという落語は他にもいろいろありますね。こういうのは同じ話を上手くできない様が笑いどころですが、枝雀の演じるこういうキャラは単純な男で、実際にいたら私もからかいたくなりますね(笑)。

持参金

落語「持参金」のあらすじ

借金を抱えた男が、借りた知人から急にその金を返すよう催促される。返す金もないのにどうしようと思っていると、急に縁談の話が持ち込まれる。誉めるところが一つもなく、さらに身籠っている女だそうだけど、ちょうど借金と同じ額の持参金がついてくるということで、さっそく話をすすめることに。

嫁さんよりお金を欲しがる男に、とりあえずその日はお金が用意できないから、翌朝必ず持ってくるという仲介人。翌朝待っていると、お金を貸していた男が催促に来た。すぐにお金がくるはずだからと待っているうちに、どうして急にお金を返してもらう必要が出たのかという話になると、ちょっと手をつけた女が身籠ってしまい、金のない男にでも押し付けようと持参金を用意したいのだとのこと。その女こそが昨日来た嫁だと気づき、「さすが金は天下の回り物だ」というサゲ。

落語「持参金」の感想

この落語は桂枝雀の「桂 枝雀 落語大全 第二十六集」と、志ん生のCDでも聴いたことがあるんですよね。でも、私が聴いた志ん生のCDの中に「持参金」というタイトルの演目がないので、江戸落語では演目名が違うのかも。演目そのものはもちろん、マクラの出雲の神様があちこちに余っている男女を結びつける話も同じ(確か)。

でも、マクラの最後で枝雀は「最後に余った2人と5人を面倒なので一まとめに結んでしまえ」というハチャメチャな様子で落とすのに対し、志ん生は「帳尻が合わなかった男1人と女2人(男女が逆だったかも)を結び付けてしまって、これが三角関係」と、志ん生の方が艶っぽい落とし方なんですよね。こういうところにも、それぞれの落語家の違いがでますね。

軒づけ

落語「軒づけ」のあらすじ

浄瑠璃を習い始めた男が、先日お披露目で節もめちゃくちゃ、筋も飛ばして、お客さんから物を投げられたと。ならば練習に軒付けする一行に参加しないと誘われる。軒付けというのは人家の門口で浄瑠璃を歌って修行することだという。浄瑠璃好きの家に当たって、招かれて鰻のお茶漬けをご馳走になったこともあると聴いて参加することにしたが、病人がいると追い返されたり、聴いてもらっていると思っていた家が空家だったり。最後に上げてくれる家を見つけたが、ここのばあさん耳が遠い。それでも、腰を落ち着けて気持ちよく歌っていると、ばあさんが「お上手ですね」と。耳が遠いのに適当なことを言うなと言うと、「先程から食べている味噌の味がちっとも変わらん」と言うサゲ。

落語「軒づけ」の感想

この落語は桂枝雀の「桂 枝雀 落語大全 第二十六集」で観ました。恥ずかしながら、私はこのオチがわからなかったのですが、DVDの演目解説によると、「下手な歌は味噌が腐る」という俗説があるのだそうです。皆さん、ご存知でした?知らなかったの、私だけかな。

また、このサゲは改作したもので、元々のサゲは「おい、皆にうちへ来て浄瑠璃を語ってくれと頼みに来たで」「どこや、そんな物好きは」「表のすきやき屋や」「ああ、それで根深を好くのやな」だそうです(これもDVDの解説より)。このサゲ、わかります?私はこっちもわかりませんでしたよ(苦笑)。

根深というのはネギのことで(私はこれさえも知らなかった)、ネギだから節がないということなんだそうです。

まあ、知識がなくてわからないサゲに当たっても、「だから落語はわからない」と思わず、「これでまた一つ知識が増えたぞ!」と思って、前向きに楽しみましょう(と、自分に言い聞かせ 笑)。
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